スマホでYahoo!ニュースを眺めていたら、やたら野村克也氏に関する記事が
たくさんあったので「まさか・・・」と思ったけど、そのまさかだった。
さっき1月20日に収録されたという「徹子の部屋」を見た。
昨年のドリームゲームの時や1月のヤクルトOB会の時の様子を見ると、沙知代が亡くなってから体は弱っているけど喋りのほうはまだまだ健在だなと思っていたので、残念でしかない。
野球の見方を教えてくれた“野村監督”
自分がヤクルトを応援するようになったのは野村監督が就任した後。
きっかけは単純に野球が好きで、飲み物のヤクルトが好きだったのでどうせ応援するならヤクルトを、といった単純な理由でした。
しかし、今でもヤクルトファンなのは、弱かったヤクルトが強くなるその過程を野村監督が見せてくれていたからだろう。
巨人への憧れからくる反骨精神は、そっくりそのまま自分も受け継いでいるようで、やっぱりどの球団よりも巨人に勝つのが一番嬉しい。
野村スコープ、ID野球、野村再生工場とプロ野球にはさまざまな功績残しているが、自分が一番印象深いのが「野村再生工場」でした。
お金かけて強いのは当たり前で、野村監督もインタビューで言っていましたが編成に口を出さずに手持ちの駒で戦うのが監督の仕事だと。
で、それを見事にやっていたのが野村監督だと思います。
今でもヤクルトは他球団の戦力外を獲得したりしていますが、どうも野村再生工場と今のヤクルトの戦力外獲得は似て非なるもののように感じてしまいます。
その他で言えば、日本シリーズで見せた「弱者の兵法」も好きでしたね~。
そして何と言っても実績ですよね。リーグ優勝4回に日本一3回。
野村監督の後にも若松監督や真中監督で優勝は経験しましたが、やはりこれだけの実績を残しているからこそ今でも野村監督と言ってしまいますし、ヤクルトファンの監督に対する目も厳しいのだと思います。
今回の訃報で、数多くの球界関係者のコメントを見ると監督として本当に多くの選手に影響を与えたんだなと再確認させられるとともに、野村監督の偉大さが伝わってきました。
高津新体制がスタートしたばかりで言うのもなんですが、やっぱりヤクルト黄金期を見ていた自分からすると古田氏や宮本氏にはぜひとももう一度ヤクルトのユニフォームに袖を通して監督をしてもらいたいものです。
S1での野球解説ももう聞けなくなると寂しいですね・・・。
なんかもう何が書きたかったのかよくわからなくなっていますが、とても大きな物を失った喪失感でぼーっとしています。
ただのヤクルトファンですが、野村監督には野球の見方を教わりました。
改めて野村氏のご冥福を祈りたいと思います。
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